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躁やうつがひどくなって入院決定! その時、医師から「閉鎖病棟入院同意書」を出されたらどうしますか? 普通(特に初めてなら)、本人も家族も「開放病棟」と信じて疑わないのが普通でしょ?(私もそうだった)。 なぜなら、「閉鎖病棟は、特殊な人の行くところ」で、「私(や家族)はそんなにひどくない」から。 確かに、精神科以外の病棟では、緊急処置室や手術室以外、「閉鎖病棟」はない。 様子がわからないから、よけいに「閉鎖病棟」のイメージは悪くなっている。 鉄格子、調子の狂った笑い声や独り言、待遇の悪さ、もう出てこれない・・・という勝手な想像。 まるで監獄に入れられるかのような怖れがあるのは、今まで、精神疾患についてずっと偏見があったから。 その最たるもの、象徴ともいえるものが、「閉鎖病棟への怖れ」だと思う。 では、ホントはどうだったか? 2001年5月〜8月までの3ヶ月、 とある私立病院の閉鎖病棟に入院した私の「閉鎖病棟の実際」を書くことにする。 いろんな病院があるから、「アタシのと違う〜」と思われるかもしれないけど、それはそれ。 病院の違いも参考にしてほしい。 |
| 入院 持ち物必携 日課 ごはん いろんな患者さん 医者とのバトル |
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●入院 2001年5月。 うつ状態で入院が決まった時、上記の「閉鎖病棟入院同意書」を出された時は、私も夫も、正直ぎょっとした。 外来で来ていた時は、入院患者らしき人がうろうろしてたし、開放病棟が2階分、閉鎖病棟が2階分あったから、当然開放だと思ってたし。 でも、ま、医者なりの考えがあってのことだろうと思い、その場はハンコ。 今になってみると、「なぜ閉鎖なのですか?」と聞けばよかった・・・。 しかし、結局その理由はあとになってわかった。 その時点で、本来うつだったのに、すでに軽躁になってた私・・・(ーー;)。 その他には、「任意入院同意書」(自分で入院に同意するということ)にハンコ。 「今日にでもOK」という医者を説得し、「会社に言わなきゃ」と思った私は、2日間の猶予をもらい、会社に行って報告。 そんなの、家族が電話でもすりゃあいいのに、この行動からして、すでに軽躁だった。 案の定、部長に「退院したらバリバリ働いてね」などとよけいなことを言われた・・・(ーー;)。 2日後、適当に荷物を持って(必需品は後述)、看護婦さんに連れられ、夫と6Fの閉鎖病棟へ。 エレベーターを降りて病棟に入って鍵をかけられたあと、もう自由には出られないなんて思いもしなかった。 私は最上階だったけど、入院手続きは1階。だから、手続きはすべて夫がやった(私は出してもらえない)。 私はその間、問診票、ごはんの好き嫌い、アレルギー、その他もろもろの記入をさせられた。 ちなみに、入院手続き時の必要品は、保険証、入院する人の印鑑、家族の印鑑、保証金5万円(退院時返却)。 何の保証金なんだ、5万円・・・・(ーー;)。 その後、夫と一緒に病室へ。全体に新しく、きれいな雰囲気。窓ガラスには針金入り。 なんとな〜く挨拶(ーー;)。これ結構難しい。8人部屋。 私は一番窓際で、隣が一人しかいないから、まずまず好位置ってとこかな。 その代わり、毎日のカーテン開け閉め係になったのは仕方なかろう(ーー;)・・・。 ちなみに窓は、斜めに10pほどしか開かない。手を出して外の空気の温度がわかるのがせいぜい。 外はすごくきれいな夜景だったので、そのギャップが、時々、何とも・・・って感じだった。 部屋こそ違うものの、男女同病棟。もちろんトイレなどは別だが、交流は自由(さすがに部屋には入らないが)。 かなり重症患者の部屋(私の隣りの部屋)だけは、カーテンで何重にも仕切って、男女同室だった。 ちょっとこれにはびっくり。どういう人がいたかは後述。 個人用として貸してくれたのは、衣装箱一つ(ベッドの下に置く)、鍵付き縦長のロッカー、ベッドサイドテーブル(引き出しと物入れ付き)、ゴミ箱の4つ。 ゴミは、自分で決まった場所に捨てに行く。燃えるゴミ、生ゴミ、ペットボトルの三種分別。 一人につきコンセント2つ、モジュラージャックはなし。冷蔵庫もなし。 洗濯は、共用の洗濯機や乾燥機を使うか(手すりに干す人多し)、 手洗いするか、業者に委託するか(月4千円)かが選べる。 私は、夫に持って帰ってもらい、家で洗濯してもらった。 病棟は、食堂兼デイルーム、談話室(15畳くらいの和室)、一般病室が5〜6室、個室1,保護室2,ナースステーション、お風呂、トイレってとこ。 デイルームには、テレビ、喫煙コーナー、タバコと缶飲料の自販機、温水ポット、カード式電話(しかしカードは1階の売店にしか売ってない(ーー;))、洗濯機、乾燥機、新聞、少々の雑誌。 談話室にはテレビ、ゲーム(といっても、懐かしもので、トランプ、オセロ、ウノなど)があった。 面会室は特になく、どこでもできる。人の迷惑を考えて、デイルームで話す人が多かった。 私の階は「急性期または短期治療病棟」と呼ばれていて、大体入院3ヶ月が目安。 救急患者(躁状態や自殺未遂)が救急車で来るので、救急車の音がすると、みんなで「ここかなぁ・・・あ、止まった。やっぱし〜」と言ってがっくり。2台続くこともあった(ーー;)。 まもなくストレッチャーが患者を運んできて、興奮している場合には鎮静剤を打ち、まずは保護室へドーン。 私の部屋は保護室の真ん前だったので、中で騒がれるのには結構まいった。 保護室は、ステンレスの分厚い扉と鍵、窓には鉄格子、クーラー、畳にマットレス、ポータブルトイレで、 4畳半〜6畳くらい(うつ系統の人は鍵をかけずに保護室の前のトイレに行けるが、廊下には出られない)。 ご飯は下の差し入れ口から入れる。 ナースステーションからモニターされてるらしい。 出されるまで激躁だと1週間〜10日、うつ状態・自殺未遂だと3日くらい(人による)。 はたから見ると、「刑務所みたいで可哀想」と思うのだが、実はこれは、興奮しまくってる患者を一人にし、精神を鎮める効果を狙ったもの。 見た目だけで判断しないよーに。 いろんな患者さんがいた(後述)。 |
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●持ち物必携 いろいろと持ってはきたのだが、ベッドが決まり、衣装箱が来ると、早速持ち物検査が始まった。 看護士さん(ちょっとボケた感じの人だったのが幸い)が、見たとたん「ダメです!」と取り上げたのが、意外にもデジカメ。 病院内やごはんを撮影してサイトに載せようと思ったのだが、プライバシーの問題であえなくボツ。 他に、拒否されて、夫に持ち帰りを要求されたものは・・・。 針金のハンガー(縦長ロッカーがあるのに・・・。着てきた服が吊れなくて困った) 陶器のコップ 安全ピン はさみ かみそり(顔用) セロテープ つめ切り 体重計(私は毎日体重を測っていたので持ってきたのに、「何でこんなもの〜!」と笑われた) 携帯は微妙な感じだったので、いったん持って帰り、計器やペースメーカーの人をチェックして、メールだけのために秘密で所持するも、後日見つかって没収される(泣)。 要するに、刃物類、割れもの、重いもの(窓を割る危険性かな)などがボツ。 つめ切りはナースステーションで借りた。 他にも、編み物をする人は、基本的にデイルームですること、袋に名前を書いて預けること(棒が危ないから)になってました。 入院の案内書に「必要なもの」が書いてあったけど、とてもそれじゃ足りん! 人に聞いたものと、私の経験からして、下記のようなものが必要かつ便利でしたんで、ご参考までに。 ちなみに、「持ち物すべてに名前を書け」と言われるけど、冗談じゃないので、退院したら捨てるものと、名前が書いてないと注意されそうなもの(薬のコップとか)にちょこちょこ書いただけ(ーー;)。 病院側は、「お風呂ロッカーの下着」「洗濯機内の残り物」がすっごく困るらしい(だからって下着に書けるか?)。 ★生活の基本となるもの スリッパ、ねまき(またはTシャツなど)、普段着、下着 卓上カレンダー(絶対日にちがわからなくなる)、卓上時計(カチカチいわないもの) 食パン一斤くらいのカゴ(100円ショップにあるやつ。いろいろと増殖するのだ) プラスチック製マグカップ(耐熱100度以上、ふたつきが理想。洗面・薬用とお茶用の2つあると便利) アイマスク、耳栓2組(大部屋だと寝息だけでも相当なもの。いびきの人がいたら絶対寝れない) 小さい懐中電灯(消灯後、他の人に迷惑をかけないように。落ちた耳栓探しにも便利) ひまつぶしもの(本、MD、CDウォークマン、イヤホン付きラジオ、iPodなど) いろいろ入れられるレジ袋やジップロックの袋 女子高生とかが持ってる、折り畳み式の大きめの鏡(鏡を多用する人用)(割れ物だが、折ってカゴに入れておけばバレないし安全。立てても置ける) ★食事関係 ごはんのふりかけ(小分けになってるもの。ごはんは大体まずいので必携) 紅茶のティーバッグやインスタントコーヒーなど(お湯は卓上ポットに沸いてることが多い。お茶は大きなやかんに一日3回位出た) ティースプーン(意外と忘れる) ★お風呂関係 洗面器、シャンプー、リンス、ボディソープ(石けんは水切りが悪く洗面器が汚れる) タオル(お風呂は週2〜3回が多いので、普通のタオルより麻や綿などの身体こすりが気持ちいい) バスタオル、耳かきまたは綿棒(お風呂上がりの耳掃除) 下着用レジ袋 ★洗面関係 タオル、ヘアブラシ、ドライヤー(必要に応じて。デイルームの隅に洗面所と鏡・コンセントあり) 歯ブラシ、歯磨き粉、ひげそり(男性のみ)、化粧品(女性のみ?) ★文房具関係 名前書き用マジック(持ち物に書かされる)、クリアファイル(いろいろと書類をくれるので必携) ボールペン、クリップ、メモ用紙(排尿、排便回数などを聞かれるのでメモ) 日記ノート(メモしとくとあとあと面白い・・・)、輪ゴム(何かと便利) 手紙用に便せんや切手も新鮮。手紙は看護士よりも、面会の家族に託した方が無難。 ★衛生関係 生理用品(少し多めに。100均で売ってるショッピングバッグ型バッグに入れると見えなくていい感じ) ティッシュ、ウェットティッシュ(お風呂に入れず気持ち悪い時にデリケートな部分を拭くための、ノンアルコールのもの。シルコットなど。スリッパの裏をきれいにするのにも役立つ) 塩(コップの茶渋をこすると一発で落ちる。空気が乾燥しているので、塩水でうがいも良) 洗剤(洗濯する人のみ)、洗濯ばさみ(洗濯物を手すりに干すため) まあこんなところかな。 ねまきだといかにも病人くさいので、特に女性は普通の服を着てました。男性はあんまり気にしてないというか、どっちかというと同じ服の人が多かったかも・・・(ーー;)。 とはいえ、ラジオ体操なんかもあるので、病院のすぐ近くにある(癒着してるのか?)ユニクロの服を、適当に家族に買ってもらって着てる人が多かったような。 私も初めて着たけど、ユニクロっていいわ〜。安いし丈夫だし、病人くさくないし、ユニセックスだし。 おばさま方もファンが増えたみたいでした(サイズ展開が広いからか?←否めないかも(ーー;))。 |
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●日課 病院とはいえ、何だかんだと忙しいのである。以下、私の病棟の日課。 基本的にすべてアナウンスがあるか、呼びに来てくれる。 午前中 6:00 起床・検温・血圧(なぜか5時半頃来ることもしばしば(ーー;)) 6;30 朝のおくすり(水をコップに入れてデイルームに並ぶ(以下同じ)) 8;00 朝食(デイルーム。以下同じ) 9;00 ラジオ体操(廊下にて。第二までやる(ーー;)。見本で前に立つ看護士が一番ヘタ。日曜はなし) (月・水・金はこの辺でお風呂。夏季は土曜もシャワーのみならOK) 10;00 検温・脈拍、前日の尿便回数を聞きに来る。その看護者がその日の担当者。 (私は月曜にこのあたりで定期回診。入院後半は壮絶バトル)。 (木曜のみ、シーツ、毛布カバー、枕カバーを自分で交換。できない人は手伝いあり) 10;45 昼のおくすり 11;00 (木曜のみ、作業所のパン屋さんが来る・超人気) 12;00 昼食 午後 17;00 夜のおくすり 18;00 夕食 21;00 寝る前のおくすり 21;30 消灯 ごらんになっておわかりの通り、午前中が忙しく、午後は超ヒマ。 この忙しさがイヤでイヤでしょうがなかった。 曜日別の特別な日課は、月〜土 ラジオ体操第二まで 月 お風呂・医者の回診 水 お風呂 木 リネン(シーツ類)交換・パン屋さん 金 お風呂 土 シャワーのみOK この特別日課は、全部午前中! ちょっと参った。 お楽しみは、木曜のパン屋さん。精神障害センター(作業所)製なので、手作りで安く、おいしい。 ぶどうパンとあんドーナツが大人気(^-^)。私の定番はあんドーナツとクリームパン。 入浴は、週3回で、夏は土曜(シャワーのみ)もプラスの週4回。 これには、他から来た人も、「ここはお風呂が多くていいよな〜」と言ってた。 その人が前にいたところは真夏も週1回で、たまらず2週間で退院したとか。 いわゆる銭湯方式で、大きい湯船もあるし、きれいでよかった。 ただ、週ごとに、入る順番が女性→男性、男性→女性と変わるので、男性のあとに入る週は、(床なんかはこすってくれてるんだけど)湯船には入らなかったな〜。 女性の入浴の時は女性の、男性の時は男性の係員がついてくれたので、その辺は安心できた。 間違って女性が入ってる時にふらふら男性が入らないように、入り口を囲って、看護士さんが見張っててくれたし。 あと苦手だったのが、薬。 口を開けさせられて、ざらざらっと入れられ、水でごっくん。しかし、私はこれができなかった。 前はご飯などの固形物と一緒じゃなきゃダメだったのが、その頃やっと、一粒ずつなら何とか飲めるようになってたところだったのに・・・。 それを、いっぺんに6粒入れられるので、最初は、飲ませる係の人に「飲んだ? 口開けて」「あ〜ん」という調子でチェックされ、非常に恥ずかしかった。 ま、一日4回、3ヶ月もやってたおかげで、今ではざらざら、ごっくん、ってできるようになりましたが。 なんか情けない・・・。 退院間近の人は、自分で飲む訓練として、袋のまま渡されて飲んでたけど、私、退院のその日まで、お口にざらざら・・・でした(ーー;)。 で、多くの人にとっての問題は、超ヒマな午後をどう過ごすか。 ほとんどの人は、テレビを見たり、話しながら廊下を歩いたり。デイルームで面会したり、編み物したり。 私は午前に夫が来て、前に頼んだ買い物や洗濯物を受け取り、洗濯物を渡してまた買い物を頼んだあとは、 カーテンを閉めっぱなしでほとんど出ず。 本とMDと携帯メールと(をいをい)、手紙、あとはジムの友達に習った筋トレを毎日、 それと、通信教育でやってたカラーコーディネートの勉強。 だから、全然ヒマじゃなかった。人が「ヒマねぇ〜」と言ってるのが不思議だった。 むしろ、これが普通で、午前中が忙しすぎると思っていた。 その上、その期間、病院が受け入れている看護学校の研修があり、5人ずつ、2週間、毎日やって来た。 これがうるさい。 こっちがカーテン閉めてるのに挨拶に来るし(毎日来るな)、同年代の子と部屋で話すし(結構耳障り)。 そして最悪なのが、そいつらが研修を終えた時に組む、ボーリング大会だの風船バレー大会だののイベント。 それとは別に、病院側のイベントもあり、他の病棟(開放病棟など、精神科全部)との合同卓球大会やカラオケ大会などをやりやがるのだ。 映画会もある。 私はぜ〜〜〜んぷパスした。そんなの私だけだったらしい。 あとで婦長がお菓子を持ってきて、 「どうして来なかったの、楽しかったわよ。来なかったの、サキさんだけよ」なんぞと言いやがるので、 秘密で持ち込んでるハサミ(カラーチャート作成用)で刺してやろうかと思った(マジ)。 キャーキャーうるさい研修が計4組、2ヶ月で終わった時、私の精神状態は最悪だった。 しかし、これは前半。 私がカーテンを出てからの人間関係がこれからセキララに・・・。 |
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●ごはん 病院のごはんなどまずいと相場が決まっている。 ま、おもったよりいっか〜・・・ってとこだった。 しかし、病院って、どうして、「ごはんそのもの」がまずいのだろう。 たくさん炊くとおいしいなどとよく聞くのに・・・。 やっぱ、元が悪いのかしらん。古々米とか。 最初の日、隣は同室の人だったので、いろいろ教えてもらった。 席には名前が貼ってあって、いつもそこで食べること。 そこには、私が入院時に書いた好き嫌いがシールで貼ってあって、 「納豆禁」となっていた(笑)。 あとで見回してみたら、カレー禁、麺類禁、ごはん禁の人までいた。 う〜む・・・・。 私など、かわいいもんだ。納豆禁の人は結構いた。 ごはんは、もう、高校生の体育会系が食べるくらいの量だったので、 看護士さんに言って「小盛り」にしてもらった。それでも多いが。 でも、ごはん大盛りの男の子もいて、いろいろだな〜と・・・。 味は前述の通りおいしくないので、一回用のふりかけは必携となった。 おかずは、朝がなぜか、めちゃくちゃまずい。 まずいというより、これは何だ? 系のものが多い(笑)。 朝は牛乳とふりかけご飯ですますことが多くなった。 一番豪華なのが昼ご飯。一番人気がカレー、それに続いて冷やし中華は すごくおいしかったな〜。 残飯もほとんどなかったし。 季節物と言えば、献立表が貼ってあるのだけど、予定ではメロンだったのが、 行ってみたらスイカだったときは、歓声が上がりましたね〜。 夕飯は、まあまあかな。焼き魚とかが多かった。 どうしても和食系統が多くなるので、若い男の子たちは、「あ〜、ラーメン食いて〜」と叫んでたけどね。 気持ちはわかる・・・。 別に内臓系統の病気じゃないので、面会の人に頼んでカップラーメンとか買ってきてもらい、 ポットのお湯で食べてた子もいた。 ご飯が終わると、自分で残飯を残飯用ざるに空けてお盆ごと返し、 お箸類は水を張ったたらいに入れるシステム。 でも、そこで、ご飯残したりしてると、食欲ないのかとか胃が痛いのかとか、 看護士さんに何だかんだと詰問されるのであった。 私なんか、閉鎖だし、運動しないし(筋トレくらい)、普通に食べてたから、入院中に3sも 太ってしまったぃ・・・(−−;)。 今、その時書いてた献立表見たら、ヤクルトジョアとか、プリン、バナナジュースなんかの、 意味不明なデザートが結構あったかな。 同室の若い女の子と、「今日のアレはいけたね」とか話してたし。 ごはんはこんなとこかしらん。なんかあんまし面白くないなあ。 ま、その日の昼ご飯が×だったら、その日の食事はダメダメってことですわ。 |
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●いろんな患者さん う〜ん、たかが3ヶ月でもいろんな人がいた。でも、なぜかみんな、自分の病名を言わないし、聞かない。 そのあたりが、内科や外科と違うところなのかな〜・・・・。 でも、2度と会えないだろうけど、すごく懐かしい人たち。 ではではご紹介。 ●同室の人● Sさん・・・・・・・・・・・50歳くらいのおばさん。 私の向かいで、ご飯も偶然食卓が一緒だったので、いろいろ教えてもらった。 私がいのたまさんの本を見せたら、ご主人まで紹介されて参った(−−;)。 うつで保護室3日、それからは全然OKで、2ヶ月足らずで退院。 Tちゃん・・・・・・・・・18歳くらい。私が入った頃は、廊下をゾンビのようにふらふら歩いてて怖かった。 とにかく毎日、父母ババまでお見舞いに来て、部屋で半日くらい話してるので、 結構迷惑だった。 インディーズのバンドに入れ込んでおかしくなった(?)んだとか。 2ヶ月くらいでまともになってきて、私とも話すようになった。 精神科病棟卓球大会女子の部で2位! 3ヶ月足らずで退院。 おくるみおばさん・・私の隣の人だったが、とにかく娘が超美人! 彼氏はいないとか・・・って関係ないか。 いつもデイルーム(食堂)でおくるみを編んでいた。 孫が欲しくてしょうがないんだなってのが伝わってきて、ちょっとかわいそうだった。 病気不明。3ヶ月で退院。 お祈りおばあさん・・私が入ったときから、床にスカートを敷き常にお祈りをあげている、わかりやすい人。 私が入ってすぐ、どこかの病院へ移された。 この病院には、もっと山奥の提携病院があるので、そこかとの噂。 死ね死ねおぱさん・・入ってきてから、2週間くらい、「死ね〜死ね〜」と言っていた、わかりやすいおばさん。 となりのTちゃんが大丈夫かと思ったが、案外けろっとしてた。 そのうち死ね死ねも治まり、「警察に行かなきゃ」の妄想が出たりしたけど、 よくなったら優しいおばあさんだった。 Uさん・・・・・・・・・・・・入ってきたときは、ご主人に手を引かれてふらふらしていた。 Sさんが出たあとは、私と同じ食卓になり、何となく、世話係になってしまった。 夜にベッドから落ちたり、夜男子トイレの所に立ってたり、頼りなかったけど、 しっかりしてくるとうれしいもんで。 私が退院するときに悲しがってたUさん・・・・をいってば。 空手のOD女・・・・・・お祈りおばあさんが出た後、OD(薬の大量飲み)で保護室入り。 ところが、そこは空手2段、ステンレスのドアを蹴破ってしまった。 で、私の部屋に一時居候。 赤玉(ベゲタミンA)×10じゃ、胃洗浄の必要もないとのことで、 薬が抜けるまで10日ほどいてサヨナラ。 こっちは、保護室の真ん前なので、一日中工事の音で頭痛・・・・(−−;)。 寂しいおばさん・・・・・空手女の後に、すごく優しい感じのおばあさんが入ってきた。何の病気? 「先生にはね、さびしいのねって言われたの、だから入れてもらったの」一人暮らしか。 鬱かなんかかな。多分、退院するとまた寂しいんだろうな〜・・・。どうするんだろ? ●別室で印象的だった人● Oさん・・・・・・・・私が入ったときは激躁状態。 30歳くらいのかわいい女性だが、なかなか躁が治まらず、罵詈雑言の嵐。 「私はここの経営方針についてきちんと説明して戴きたいんです!」等々・・・。 地元の人ではなく、仕事でこちらへ来ていて発病。 お母さんがホテルに泊まり込みで毎日面会に来ていた。 後述のMちゃんという男性を気に入り、彼の気配がするとだだっと部屋から出てくる凄さ。 Mちゃんの退院の時、みんなが「二度と来るなよ〜」と言ってる中、 彼女は「Mちゃん、カムバーック〜!」 しかし・・・・2週間ほど外泊で田舎に帰ってきた彼女は激変していた。 「いろいろお世話をかけてすみません」と、鬱ではないが、おとなしくなっていた。 これからも、田舎から、新幹線でここまで通うそうだ。すご〜・・・。 Tさん・・・・・・・・私が入院で最も嫌悪し、ケンカし、彼女のことで主治医と争った対象、35歳前後。 彼女も激躁状態で、早朝から歌うは、一人でお風呂に入るとごねるは、手におえなかった。 彼女のことは、【医者とのバトル】に書く予定なので、ここでは省略。 ティーチャー・・・中学の先生なのでそう呼ばれていた、私と同じ日に入院した35歳くらいの女性。 食卓が同じだったので、少し話したら、あれよあれよと言う間に、 踊りましょうだの歌いましょうだのと言いだし、その日のうちに保護室行き・・・・(−−;)。 1週間くらいで出てきたら、おとなしくなってた。 それからは、わりと普通の感じで、若い女の子の「ティーチャー」になってた。 3ヶ月くらいで退院。外来で時々会うが、最近は鬱っぽいかな・・・。 自殺未遂・・・・・若いし、かわいいし、何の悩みがあるの? と聞きたくなるような感じの女性。 でも、入院前に自殺未遂2回、入院中にもベッドを使って1回やった。 そのため、重症患者室に入れられていた。家庭的にかなり問題があるようだったけど・・・・。 それと、なぜか男性トイレに入っていた。不思議だ・・・。 リスカは全くやらないので、完全に自殺未遂。そういうの、病名なんて言うんだろう? Mさん・・・・・・・・40歳過ぎの男性。激躁状態を過ぎ、落ち着いていた。 彼と、パソコンの話をしたことから、そういう話に飢えていた彼は、私と話すようになった。 退院の頃には、パソコンよりも、ほとんど身の上話や愚痴、相談が多かったかな。 Mさんがいなければ、デイルームには出なかったし、 他の人にも「Mさんが寂しがってるから行ってあげたら」とか言われた。 彼の存在は、私の入院生活を非常に潤してくれたと思う。 しかし、結婚の条件が、美人、家庭的、従順ってのはなあ・・・。 (確かに奥さんは美人だったけど、離婚寸前らしい)・・。 Mちゃん・・・・・・・35歳男性。激躁状態を抜けて、わりと落ち着いてたが、選挙の妄想があり、 「Mに清き一票を!」と言って回っていた。 それと、廊下を歩く(運動と暇つぶしのため)女性たちに声をかけ、ナンパしていた。 そのくせ、自分に迫るOさんは苦手らしい・・・・贅沢な奴。 私と同じ主治医なので、時々外来で会うが、やっぱり女の子に声をかけている・・・・。 あれは病気じゃないな。 Sくん・・・・・・・・ 25歳くらいの元気な男性。 私が、入院後半、主治医とバトルして出てくると「サキさん、またガンダム やっちゃいましたね〜」と言ってからかう意味不明なヤツ。 だんだん躁になってきたらしく、私が退院する頃には、保護室に入れられてた・・・。 ひろくん・・・・・・・人間の快復力とはこんなに?・・・と思わされた男性。 25歳くらいで、私が入った頃は激鬱、それからさらに下になり、意識不明の植物状態に。 全身チューブ状態で、部屋の入り口だったから、時々のぞいてたんだけど・・・・。 ある日、私の食卓の向かいにひろくんの名前が書いてある! 昼から、看護士さんに肩を借りて、ひろくんが歩いてきた。 看護士さんのスプーンから離乳食状の食事を摂っている。 ただ、口がうまく回らないので、前掛けによくこぼしてたし、私も食は進まなかった・・・。 それをMさんが見てて、看護士さんに私の席替えを提案してくれたし、 看護士さんも配慮してくれたけど、結局私はそこに居続けた。 次の日、ひろくんは一人で歩いてきた。次の日、一人でスプーンで食べられるようになった。 次の日、もう前掛けなしで、お箸が使えるようになった。 次の日、一品多い(ずるい)ゼリーも食べて、残飯整理もして、部屋に戻った。 日に日に、食欲が出て、ご飯も流動食じゃなくなる。 ある日、だめもとで「おはよう」と言ってみたら、私の顔を見て会釈してくれた。 私が先に退院したので、その後は知らないけど、あの分だと、 驚異的に回復してるんじゃないかな。 もともと激躁で入ってきたらしいけど・・・。 人間、どこまで落ちても大丈夫ですねえ・・・。 おそうじ君・・・・・いつも裸足。年齢不詳。 5分おきに、掃除道具を取りに行き、自分の部屋を掃除し(ほとんど形だけ)、 ちりとりのごみをごみ箱に入れ、掃除道具をしまう・・・・。 この作業を一日中やっている人。 それが自分の仕事で、やらないと気が済まないかのように。 周りのことは一切眼中にないから、とにかく何があろうと掃除道具を取りに行く。 後述の暴れた人やガラスを割った人の近くでもかまわず、である。 でも、Mさんが羽交い締めにして「ガラスがあるだろ!」とか教えると、おびえて部屋に帰る。 元ボクサーで、相手が一人亡くなったとのこと。 この病院と提携している、もっと山奥の「永遠病院」と呼ばれている所へ、 彼は行くだろうと言われてたけど、まだみたい。 彫刻君・・・・・・・この人も、ひろくんとは違う意味で、人間の快復力というものを感じた人。 25歳くらい、無表情、何をするにも、指で5まで数えてからでなければダメ、 動きはカクカク、などの彼独特のきまりがあるようだった。 面会は、親族なら9時くらいまでOKなので、お父さんが毎日仕事の帰りに来て、面会。 でもそんな状態だから、会話もないし、向こうを向いちゃったりするし・・・・。 気の毒な感じだった。 それでも、お父さんは毎日、30分から1時間くらいじっと息子を見て、帰っていってた。 そしたら、1ヶ月くらいから、彼独特のきまりが減り、明らかに普通の動作が増えていった。 5つ数えなくても立てる、お父さんが何か話しかけると首をかしげる、 お父さんが帰るときには立って見送る(今までは座ったまま)などなど。 私の方が先に退院したので、その後は知らないけど、多分よくなってるでしょう。 暴れた人・・・・・・35歳くらい、170pくらいの普通体型の人。 デイルームにいて、いきなり鍵のかかったドアを殴りだし、暴れ出した。 で、とにかく男性看護士6人が押さえつけ、鎮静剤2本を注射して、事なきを得る (その後しばらく保護室)。 私はそれを目の前で見たのだけど、中肉中背の男性をうつぶせに押さえつけるのでさえ、 男性6人でやっと・・・だったのでびっくりした。暴れる力ってすごいのね。 ちなみに、この騒ぎの最中、前述のおそうじ君が何もわからずやってきた (掃除道具入れの前で騒ぎがあった)ので、Mさんが羽交い締めにして、 「おそうじ君、ほら、前で暴れてるだろ、危ないからダメだよ」と言った。 そしたら、はっと気づいたらしく、自分の部屋に入ってしまった。 人に言われれば、認識できるという点で、まだ人間らしい感じがした。 ガラス割りの人・・とてもおとなしい人で、35歳くらいの男性。 同室男性の談によると、「いきなり部屋から飛び出し、病棟の端っこのガラスを何度も蹴り、 ついには穴をあけてしまった」とのこと。 この人も、その後保護室行き。 ガラスだらけの廊下に、おそうじ君が好奇心で(?)来たら、またMさんが羽交い締め、 「ガラスあるでしょ、痛いでしょ!」 で、はっと気づいたおそうじ君は、それまで裸足だったのが、 次の日からスリッパを履くようになりました。 Iさん・・・・・・・・・・・どうしてもおむつをしたくない! と拒む、ちょい痴呆のじいちゃん。 廊下でラジオ体操をしていると、その前を.、じいちゃんと看護婦さんが 「Iさん、もう少しだから我慢して〜」と叫びつつ、駆け抜けていく・・・・そして流れる水音。 皆さん安堵・・・。 ラジオ体操どころじゃないよ・・・まったく。 |
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●医者とのバトル <ひきこもり時期> <少し出てくる−Mさんと話す> <Tさん問題で主治医とバトル開始> <病気についてのバトル開始> 入院すると、それまで2週間に一度だった診察が、週に一度になる。 午前中の外来が終わった医師は、午後は病棟や医局をうろうろしていることが多い。 私は、うつで入院したはずが、入院とともに軽躁になってしまった。 「なんか、入院してワクワクしてない? 普通は不安なもんだよ」「一歩たりとも出ないつもりで寝てなさい」と 言われる。 しかし、ヒミツでカラーコーディネートの勉強をする私。 一番ショックだったのは、入院したらいきなりトフラニール(抗うつ薬)を抜かれたこと。 昼寝してたら、主治医が来てて、「寝てんじゃん」なんて言われたりした(−−;)。 入院後、まずは脳波、心電図、レントゲン、MRIの検査。 MRIというのは、脳のスキャンみたいなもん(丸いのに入っていく)で、 頭の外で電気工事してるような音がした。15分くらい。 <ひきこもり時期> 私は、入院前半の1ヶ月半ほど、カーテンを閉め切ってヒッキー状態だったので、 よく看護士さんに見に来られた。 やっぱ、危ないことしてんじゃ・・・と思われたのかしらん。 普通は「サキさん、いい?」と言って開けられるのだけど、2度ほどいきなり開けられたことがあって、 しかも着替え中(泣)。 男性の看護士さんで、2度とも同じ人だったので、周りにも「何あの人! 確信犯よ」と慰められた。 看護士さんは、2日排便がないと、薬の時に、持ってる飲み水に下剤を垂らす。 それが結構アバウトで、一度、15滴垂らされて、夜中じゅうおなか激痛で参ったことがあったので、 以来、下剤は10滴までにカンベン・・・。 医者の回診は、ベッドまで来る医師も多いが、 私の主治医は、ナースステーションの奥の診察室で回診したので、呼ばれて行ってた。 お風呂の時間と重なるので、女性が後の週は、髪半乾きで行くことも多かった。 気分は、躁なんだかうつなんだか、イライラ、調子悪い感じ、みんなに当たり散らしたい感じ・・・・。 でも、お風呂入りたくない、ボヤーッとした人たちと関わりたくない。 眠剤を増やされる。 やっぱ、8人部屋、他にもいろいろ音がするし、人はいるし、デイルームのテレビは聞こえるし、 刺激が多くてイライラすんのかな。 入院って、個室ならともかく、やっぱり静かに一人で寝てるというわけにはなかなか・・・・。 一度、Oさんが廊下で騒いでいたので、「O! オマエうるせーんだよ!」とブチ切れたら、 看護婦さんに止められたけど。 6月、売店に行く許可(2時に引率されていく)が出る。 いのたまさんの本を、同室のSさんに紹介したら、勝手に回って、5人に売れてしまった。 営業の私。 6月末の診察で、私は3ヶ月足らずで退院できそうだと言われた。 なぜかというと、長期入院(開放病棟だと特に)してると、そこに住み着いて、家になってしまうそうだ。 だから、短期の人は、閉鎖病棟に入れて、早めに自宅療養して復帰するのがいい、とのこと。 この病棟は「短期&救急閉鎖病棟」だから、ほとんどの人が3ヶ月以内で退院するらしい。 一見、開放の方が良さそうに見えるけど、家になってしまうと言われれば、確かに・・・。 実際、開放の人は長い人が多く、生活保護で入院費を出したりしてるらしい。 全面開放という方針を打ちだしてる病院もあるけど、もちろんそれは、 短期も長期も開放という考え方だろうな。 何で私が閉鎖病棟に入れられたか、やっとわかった。 <少し出てくる−Mさんと話す> 6月中旬から、Mさんと話すようになり、デイルームに出ることが多くなる。 主治医にも、「自分から出てくるようになったね、いいことだよ」と言われた。 と言っても、Mさん以外とは話さないのだけど(−−;)。 「Mさんは、何言ってもダメージないから、バリバリだから大丈夫」だそうで・・・。 ある日、薬の時、前にいた男性の手をふと見たら、リスカが黒い糸で縫ってある! これは結構衝撃的だった。5本くらいリスカしてたし、抜糸前だから糸がモロだし。 うにゅ〜、リスカは怖いですよ〜。 7月になって初めて、主治医が、ここの副院長だと知った。 ひ〜。あんなんで大丈夫なのか(−−;)。 2日、外出許可が出たが、普通なら家に帰るところ、私は帰宅厳禁。 理由は、パソコンと編み物があるから。 パソコンは、サイトを持ってることも言ってたし、「捨てちまえ!」と 言われたこともあるくらい、私の躁うつ状態に影響を与えると思われてるもの。 編み物は、やり出すときりがなくなるので禁止されてるもの。 なので、「どこ行ってもいいけど、家はダメ、夫以外とはダメ」という異例の条件付き。 「インターネットカフェなんか行っちゃダメだよ」と言われた(−−;)。 外出は、昼前に出て、車でエスニックご飯屋さん、雑貨屋2軒に寄ってお茶、編み物の本を買う。 再びお茶して、4時頃病院へ戻る。 やっぱ、病院の看板が見えると、「帰りたくない〜」って感じだった。家でもないのに・・・・? 着替えて、薬とご飯の時以外、寝まくってしまった。 次の日よりも、その次の日の方が疲れがどっと出た。これは歳だ(泣)。1日中寝てた。 診察で、編み物してもいいかと聞いたら、当然×。 編み物、刺繍、レース編み、根を詰めるものは全部ダメ! と言われて「バカ野郎!」と叫んだら、 笑われてしまった・・・。 <Tさん問題で主治医とバトル開始> この頃から、私は主治医に、言いたいことを言うようになる。 次の診察では、向こうの言い分は、とにかく家に帰らせるのが不安とのこと。 2.3回の外出(家以外)→家に外出(これが怖いらしい)→外泊、の予定らしい。 夫と偶然エレベーターで一緒になった時、夫が主治医に「どうですか」と聞いたら、 「ここにいる分にはいいんだけどね・・・」と言ってたとのこと。 でも、この日程をあと1ヶ月でやるんだそうだ・・・。大丈夫か、をい・・・。 しかし、考えてみればここまではまだよかったのだ。ベッドで、ちょっとした筋トレもしてたし、 Mさんと話したりもしてたし。 この頃、暴れる人、ガラス割りの人などが出て、保護室で心臓発作で死亡の人とか、 ヘビーな顔してまともな人とか、なんか、何があってもこわくないのだった。 しかし! 7月中旬、Tさんが入ってきて、事態は一変した。 保護室から出てきて、躁状態だった。 落ち着きがないけど、話したら気さくな人だった。次の日、私の隣に入ることになった。 その日は木曜で、リネン(シーツ類)替えの日だった。 当然、Tさんのリネンも配られたから、ごろごろしている彼女に、「今日はシーツ替える日だよ」と言った。 「いいよ〜・・・・」と言うので、放っときゃよかったのに、お節介にも「Tさんの分も来てるよ」と言ってしまった。 そしたら、逆ギレした。 「なんでアンタが仕切るのよっ、人の勝手でしょ!! 」などと怒鳴るので、これ以上言うとますます怒ると 思い、「じゃ、看護士さんに聞いて!」と投げた。 彼女は当然、それを聞く間もなく、廊下にいた看護士さんに「部屋替えてくれ! あの人がどーして 仕切るの!!」と訴えていた。 看護士さんは、なだめつつ「あなたは、その怒りっぽいところを治さなきゃいけないんだよ」と彼女に言い、 一応説教。 私は何も言わなかったけど、看護士さんが「しばらく話しかけないで」と言うのでうなずいた。 ケアはなし。その後、少し泣いた。 朝も、そういえば、6時頃からギャーギャー騒ぐから、「騒ぐならホールに行ってやって」と言ったら、 「わかってるよ、このバカ野郎」と言って出ていった。 その相乗効果もあるのかな。 ひどいことを言われたこと自体は、病気だからってかろうじて思える。 でも、同室の人は誰も私の味方をしてくれないし、後で慰めてもくれない。 「こんな雰囲気になる前に退院できてよかったわ」と言ってる退院間近の人すらいた(Sさん)。 せいぜいTちゃんが、「大変だね・・・(←人ごと)」って言ったくらい。 自分は怖くて言えないから、他の人が言ってくれて、その人が壁になってくれてほっとしてるって感じ。 勝手というか・・・・私がバカというか・・・。 私が求めてるものは何だろう? 慰めの言葉? 「あなたは悪くない」って言葉? よくわからない。 でも、とにかく、そういうものが何もない、誰もいない(自業自得か)私は、どうするか・・・。 抗うつ剤でももらうか・・・。 しばらく慣れるまでこの環境で行くか・・・。 しかし、対人関係に障害のある私の隣に、超怒りっぽい人を入れるっての、 (主治医は知らないかもしれんが)、私の症状にとってみれば、多分最悪でしょう。 しかも、すごいいびきと悪口雑言。 Mさんに話そうかとデイルームに行ったけど、疲れてそうだったのでやめといた。 戻ったら、担当の看護士さんがいて、少し話して、泣いちゃった。 でも、自分でも思うけど、看護士さんにも対人モード。主治医何とかしろ。 夫に話すだけ話した。少しだけすっきりした。 Tさんが来てから、生理痛がひどくなった。身体は正直だ。 昨日から、みんなも私を避けてるようだ。怖い顔してるんだろう。 ごはんもほとんど食べずに、Tさんの声がうるさいからMDかけて寝てる。 診察日ではないが、明日、主治医に診察を頼んだ。 しかし、その日私の夫を初めて見たTさん、帰ったとたんに話しかけてきた。 「ダンナさん、素敵ですね」「お友達紹介してください」・・自分の境遇から始まって 家の場所、電話まで聞いてきた! 「さすがに知り合って1週間の人にはダメだよ」とかわしたけど・・・。 向こうがべらべら話すのをはいはいって聞きつつ部屋に入ったので、部屋の人も驚いてた。 次の日、むこうから「おはようございます」「髪、切ったら?」とかうるさいので、 「うるさいな、私、寝起き悪いから、声かけないでくれる?」と無愛想に言った。 部屋のベッドプレートがめちゃくちゃに入れ替わるいたずらがされてた。 私の食事席のシールが全部はがされてた。 食事前に気づいて、平気な顔でナースに言って、また貼ってもらった。 誰がやったかなんて・・・・(笑)。 お風呂も、「最後に一人で入りたい」とごねて、看護士さんに「それじゃ、家で入るんだね」と一蹴されてた。 これはみんな、ちょっと溜飲が下がったかな。 「絶対入るもんか」と毒づいていたわりに、その後は、下着で入って(浴槽にも)、 「裸だと恥ずかしいじゃないですか〜」とか意味不明なことを言っていた。 この日、彼女が昼から個室に入るとの情報あり。 うれしいとかほっとするとかより、なぜだか泣けてきてしまった。気が抜けたのかな。 でも、今日はいよいよ主治医との決戦。 なぜ私の隣に入れたのか、たった4日で出すようなことをしたのか、予想できなかったのか、疑問は山のよう。 彼女が悪いんじゃない。あの状態で出した医者、こともあろうに私の隣に入れた医者。 「追い出されてる」感覚は、彼女だってあるだろう。最後に自分のベッドで、彼女は「やだな・・・」と言っていた。 「これっきり、これっきり〜」と歌っていても、感情はそれだけじゃないと思う。 主治医自ら私のベッドに来たけど、他の人に迷惑なので、診察室へ行く。 私の隣に彼女を入れたのは「そこしか空いてなかったから」。が、知ってる限り、4床は空いてた。 それを力説の上で、なぜ私の隣に入れたか、再度聞く。 「空いてなかったし、(Tさんの主治医の)T先生がそこにと言うので、反対しなかった」とのこと。 「ということは、隣の私のことは考えてなかったということですね?」と聞くと、 「大分(Tさんが)落ち着いたと思ったから」。 皮肉で「ショック療法ですか」と言ったら、「そんなのあるわけないこと、素人でもわかるでしょう」・・・。 で、もう過去はよしとして、これからどうするか聞いたら、「やり直すしかないね」だと。 「じゃあ、3ヶ月弱でなんて出られませんね」と言うと「そうだね、少し延びるだろうね」。 <病気についてのバトル開始> で、今回はついにキレた。 「私みたいな症例、診たことあるんですか!?」 答は、はっきり、「ない」だった。 「自分は、何でもかんでも躁うつにしちゃうと言われるくらいだが、それでも、あなたみたいなのは 診たことがない」らしい。 ラピッドに加え、周期のなさ、対人・対物による影響力の大きさなどなど、報告でもここまでのは 聞いたことがないそうだ。 だから、いつも薬に迷うらしい。 「変えようかな・・・でもまたすぐ効かなくなるかも・・・」と思って、結局同じに。 その辺、優柔不断な性格らしい。 で、私は、「じゃあ、とにかくいろいろ出してみてください。それで私が調子を言いますから。 バンバン出してください」と言ったら、 「患者さんからそういわれるとちょっとほっとした」(ってアンタ副院長でしょうが)で、トレドミンを 今日の夕方から追加。 でも、隣にTさんを入れたことについては、最初は「集団生活だし・・・」などと説教していたが、 私が「そんなこと聞きたくないんです、なぜ私の隣に入れたか、それを聞きたいだけです」と言ったら、 さすがに、その剣幕に、「今回のやり方は失敗だった。あなたのダメージについては、申し訳ない」と言った。 こういうトラブルはよくあること、精神科は「結果論」でしかないそうだ。 それにしたって、こっちがダメージ受けてるって言ってるんだから、最初に謝れよ、全く。 「入院した方がよかったんですかねえ・・・」と言ったら、「よかったと思う。あなたのことをより詳しく わかるようになったし、僕以外の人と話してるのを見たりできるし。あなたは極端だよね」とのこと。 私も主治医がだんだんわかってきた気がする。 非常に正直で(正直すぎるよ(泣))、いい医者ではあるが、薬をあまり変えない。 こっちが、もっと積極的にいろいろ言ってもいい感じ。 こうなったら、予定が延びるの何のと言ってたけど、予定通りのスケジュールこなして出てやろうじゃないの。 それから、あんまりなら転院考えたっていい。とりあえずは、主治医と一緒に、合う薬探しだ。 それで、とにかく計画通り、来週軽い外出2回→家への外出1回→外泊→退院。 このスケジュールは死んでも守る。 Tさんのダメージなど、この際もうどうでもいい。あれがいることで悪化する可能性もあるから、とにかく早く出る。 診察は、トレドミンの副作用などについて。特に問題なしで、トレドミンでGO! 外出は、今週の水・日になった。 それ以降、(家への外出とかを)ダメとか言ったら、もうタダじゃ置かない。 とにかく3ヶ月で出ることを目標に頑張ろう。パソコンや編み物は、少し自重しなきゃ。 あと、もともとの性格と(〜しなきゃ、とか)、会社と、家事などなど・・・。 でも、今から考えてもしょうがないから、何とかなるさ〜! 水曜の外出は、10時半に出発、おいしいと評判のウナギ屋さんでお昼。夫がビールもつけてくれた。 それから、ソニープラザとボディショップに寄り、2回お茶。 2回目のカフェ・コムサでは、巨大なシフォンケーキを食べる。 そのあとゆっくり帰り、病院着4時過ぎ。 なかなかいい外出だったかな。 何でも詮索したがる隣の女性(リスカ・19歳)が「どこ行ったんですか?」と言ったけど、無視した。 主治医が同じなので、やたら「あの先生のことどう思います?」とかうるさい。 「言いたくない」「自分で考えれば」、最終的には無視した。私の個人的なことも聞きたがるし。 で、退院を主治医に拒否されると、「あの先生は話を聞いてくれない」だそうだ。 日曜の外出は、イタリアンでお昼、それからユニクロで買い物。ファミレスでお茶して帰る。 軽いつもりだったけど、やっぱり、息が上がってた。 3時半頃戻り、8時ごろまで寝る。 翌日の診察、いきなり「家はどうでした?」のボケ発言でキレた。 「家には戻ってません、禁止されてますから。カルテよく見て下さい!」と爆発。 まあ、「外出」ってあったから、イコール家だと思ったんだろう。 で、金〜日、2泊の外泊を認めさせた。 トレドミンでまだちょっと不安がってたから、「大丈夫、そんな不安がらないで下さい。 こっちが不安になる。その性格直して下さい」と言っといた。どんな患者だ。 で、「あなたがもし暴走しても、ダンナさんがしっかりしてるから読めるだろうし、安心」とのこと。 やたら夫をほめるので何かと思ったら、「いや、家族に理解がないって、多いんだよ」だそう。 またTさんとトラブル。 お風呂の脱衣場で、これから入る人が脱ごうとしていたら、Tさんがびしょびしょの下着 (コイツは下着でお風呂に入るのだ)であがってきて「どいて」と言うので、そのあたりの人が 着替えられなくなってしまった。 で、私が「ちょっと、みんな脱げないからどいてあげてよ」と言ったら、また「バカヤロー」「いい加減にしろよ」 等々、いつものボキャブラリーの少ない罵詈雑言。 私は黙って、Tさんのカゴをすいたところに移したら、なぜか素直にそこで着替えをしてた。 でも、私があがった後だったので、廊下で、私を後ろから罵倒しまくりながら歩いてた。 私としては結構笑えたけど、他の人は怯えてたみたいで、ついに保護室入り。 しかし、たった2日で隣の大部屋へ。Tさんの主治医は何考えてるんだ? 「良くなったから」なんて言い訳、通用しない。今までと全く変わらない。 私が外泊の間に、同室のTちゃん、Mさんが退院するので、Tちゃんとは少し話し、Mさんには挨拶に行った。 「元気で」と言って握手してくれた。 外泊1日目、朝9時に夫が来て、車で家へ。 家自体に違和感はないけど、自室のパソコンのスイッチを押していいのか、押したいのかよくわからない。 体力はそう落ちてはいないよう。病院疲れしていて、せいぜいカバンの中のものを出したくらい。 結局、友人とメッセンジャーで話す。メールチェック程度。 それだけで、今日は寝る。 外泊2日目。よく寝る。病院疲れを家で取ってる感じ(−−;)。 ほとんどの時間、寝ている。夫と今後のことを話す。 外泊3日目。帰る日。朝から機嫌が悪い。 どうせ帰ったって、MさんもTちゃんもいないし、あとは退院話(のはず)。 これでダメって言ったら、殴り飛ばすぞ。 病室に戻ったけど、別に「お帰り」と言われるわけでもなし。 また、監獄だ。 次の日、診察。 木曜に退院決定。なのに不安だ。 外泊時のような抑制した生活をすること、 8月はとにかく休み、会社は9月になってから、「どーすっかな〜」くらいでいいそうだ。 最後の体重測定では、最初からすると3.5sも増えてた(−−;)。 あと2日、リネン替えとパンの日。そしたら家へ帰れる。二度と来ないようにできる。 Tのバカな悪声も、水の出の悪いトイレも、さよならだ。 退院当日。 リネンしっかりやる。パンもしっかり買う(−−;)。 荷物はバッグに3つ、結構増殖したなあ。 私の部屋の担当看護士さん(前に話を聞いてくれた)が来てくれた。 気分的には落ち着いてる。特に不安もなし。これからは、これからの風が吹くさ〜。 これだけの体験をすれば何も怖くない、と、Tちゃんと言ってたのを思い出す。 シャバだ! トップページへ |